「第1章:人生の意味について」の全体像

 本章は、本論で扱う「人生の意味」という言葉の意味を正確に定義し(第 1 節~第 3 節)、その意味における「人生の意味」はどのようなものであるべきかという条件を考える(第 4 節)。その上で、そのような人生の意味を考える手がかりを探す(第 5 節)。このページでは、第1章の目次および第1章の全体像を端的に説明する。

各ページにおける章・節・項の表し方

章ー節ー項
ex. 1-2-3 → 第1章の中の第2節の中の第3項
ex. 1-2 → 第1章の中の第2節

第1節:問いの意味
 第1項:「意味」は何を意味するのか
 第2項:「私」にとっての人生の意味
 第3項:生きる手段と目的の違い

第2節:問いの発生過程
 第1項:「問う」行為について
 第2項:逆境における問いの発生
 第3項:順境における問いの発生

第3節:人生の意味を問うことは有意味か
 第1項:哲学的な問いとして
 第2項:現代的な問いとして
 第3項:普遍的な問いとして

第4節:人生の意味の必要条件
 第1項:主観的かつ客観的納得
 第2項:誕生肯定
 第3項:絶対的な意味

第5節:幸福論

 第1章のゴールは、「人生の意味」とは何のことかを理解し、その問いに対してどのような答えが在り得るのか?を突き止めることである。

 このゴールにたどり着くために、まず「人生の意味」とはそもそも何を意味するのか?という山を越えなければならない(1-1)。なぜなら、「人生の意味」と一言で言っても、調べてみたり、聞いてみたりすると様々に解釈されるからである。そこで、「人生」と「意味」がそれぞれ何を意味するのかを考察・再定義した(1-1-1、1-1-2、1-1-3)。

 次に、定義された「人生の意味」に関する議論はそもそも成立するのか?それが求められるときがあるのか?を考える(1-2)。誰も考える必要がないのであれば、不要な議論である。これについて、問いを起こす対象(1-2-1)と問いが起こりうる状況(1-2-2、1-2-3)を考える。

 議論が成立すると分かれば、次に考える必要があるのは、それを議論する意味はあるのか・ないのかである。当サイトに反感を持つ人が抱くであろう「人生の意味を問うことは有意味なのか?」を、哲学的側面(1-3-1)、現代の環境的側面(1-3-2)、普遍的側面)1-3-3)の3方向から考えた。

 3つの山を乗り越え、定義された「人生の意味」は、どういうものなのかという要件を3つ考えた(1-4-1、1-4-2、1-4-3)。そして、これを満たす意味を抽象から具体で考えたのが第5節(1-5)である。

 こうしてみると、当サイトで言及する「人生の意味」は、結局のところ、当サイトが定義した意味における「人生の意味」でしかないではないか、と思われるかもしれないが、できるだけ全ての人が納得できる定義になるようにしているので、ご一読願いたい。
 

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